県レベルの地域福祉についての取り組みは全国的に早く、1973(昭和43)年足尾町・古河鉱業 「足尾銅山」 の閉山に伴い高齢のため他地域に転出できず、町に残らざるを得ない高齢者の生活・生きがい支援などのために県・町社会福祉協議会が取り組んだ 「保健福祉地区組織活動」 の推進とその成果を他市町村に波及させるための 「コミュニティケア」 の取り組みである。本事業を支援するため1975(同50)年に 「栃木県コミュニティケアモデル事業推進要綱」 が制定され予算措置がなされた (本予算措置は栃木県における地域福祉推進を目的とした県単独の最初の予算といえる)。
翌年の1976(同51)年度を初年度とする 「県長期総合計画」 の社会福祉施策については 「これからの社会福祉の原点は地域福祉」 と位置づけ、福祉を支えるコミュニティの形成、福祉教育・福祉を支える人づくり、在宅福祉サービスの充実、施設整備と社会化の促進などが挙げられた。
全国的にも地域福祉の実態化が十分なされない時期にこのような政策決定がなされ、全国に先駆けてコミュニティケア実践に取り組んだことは評価されよう。
その後の4市町のモデル地区の取り組みが、障害者作業所、学童保育、給食サービス、ボランティア活動の振興と住民の組織化、市町村社会協議会の法人化促進、民間の地域活動を支える10億円の基金の造成、更に福祉教育推進機関 (社会福祉教育センター) の設置など今日の地と技研の地域福祉を支える基盤整備に影響を与えた。
高齢者・障害者・児童を見守り支える地域社会づくり、福祉教育、ボランティア活動振興からの住民組織化・活動などが 「地域を耕し」 その結果、施設と在宅サービスの隙間を埋める 「宅老所 〜高齢者デイホーム〜」 の誕生につながったものといえよう。
|